久しぶりに更新したらサイトの更新手順忘れてた。
最近引き籠もり気質に拍車がかかりまして、帰宅後はずっと部屋に引き籠もりっぱなし。特に部屋の掃除をしてから部屋の居心地が良くなった為、時々コンビニエンスストアで飲み物を補充などしつつあとはずっと読書。
(ろばQの人生に於ける) 時期的には今は input の時期で多分半年位したら output の時期になるのでは、と言う感じ。
h1
- p
h2
- p
- p
こういった構造では、最後のp要素に対して見出しを与えるべきという意見があります。
h1
- p
h2
- p
h2(フッタ)
- p
何故かといわれると怪しいことしか書けませんが、CSSを無効にした時の分かり難さが何かを物語っているような気がします。
私も怪しい事しか申せませんが、上記の見出しの無い場合の構造は下記のブロックレベルの引用を含んだ文章と同じくらい一般的で、且つ容認される気がします。
CSSを無効にした時見辛いのは、従来の構造化されていない HTML において見出しに従属する範囲が不明瞭であり、その結果 XHTML 2.0 で言う section 要素の範囲に対して初期状態の見栄えが与えられていないから、と言う HTML の技術的な都合であって、文書の構造を markup するのであれば、従来ブロックレベルの引用が出現した位置に XHTML 2.0 の section 相当の要素が出現しても何ら不都合の無い話のようにろばQには思えます。
それはそれとして日本語として解りにくい、悪文だ、避けるべきと言われれば一般的にはそうかも知れないが、必ずしもそうではないと思うと言う何も言ってないのと同じくらいの事しか言えませんが。
そふぃあさんより例の見出しのない跋文のような部分は目次から漏れてしまいます
との指摘を受け、一般には目次が作れなくても良い、或いは、目次の項目名が h1 (1/2) と言うような名称であっても構わないと言う事は無いだろう、と判断して何ら不都合の無い話ではないので訂正します。
また、目次が一般的に項目が始まる点を表記している (1章: 1頁、と言うような表記になっている) 事を考えると見出しの無い場合の構造は下記のブロックレベルの引用を含んだ文章と同じくらい一般的で、且つ容認
されていないので (そのような文章構造が一般的であるならば、目次は項目が始まる範囲 (1章: 1~3頁、と言うような表記) をしていると思われるので) これに関しても訂正します。
衝突する時は、強度の低い方が折られる。
和解する時は、位置の高い方が降りる。
CCCD だったのでかなり躊躇ったのですが、うたううあを購入。森のこびとを繰り返し聴いていると何か向こう側からお迎えが来ます (来ない)。
最近 VB6 で仕事してるが、以前の C# の仕事と比較して Object 指向のありがたみが解って来た (やっとか!) 。
そんな気がする最近。
独自に整形済み文書の XML コードフォーマッタを作成中。Let's reinvent the wheel (XSL を勉強した方が早くないか?).
iBook が突然カツーン、ガリガリガリと言う音を出してフリーズ。再起動するもOSが見つからねぇ、みたいな icon (正式名称知らず) が表示され OS 起動せず。HDD が大破の模様。
今回の賞与では珍しく電化製品は買わないと思ったのに……(とりあえず修理費用見積もってから修理 or 自分で HDD 換装 or 新品購入の予定)。
Re:途中に異なる見出しレベルを含んだ地の文章は有りだと思う (Hatena::agenda 2004-06-10)
単一の文書を章(Chapter)と節(Section)で複数の文書に分割するケースを考えてみるとしましょう。未来の話ですから、それらへのリンクは link要素で表現し、アンカーを設ける手間を省略するとします。このとき、例のp要素(新お尻p?)はどうなってしまうでしょう。
実は未来の話ですから、それらへのリンクは link要素で表現し、アンカーを設ける手間を省略するとします
と言うかなり重要な部分が今一つ理解出来ていないのですが、とりあえず途中に異なる見出しレベルを含んだ地の文章は有りだと思うでろばQが肯定した文書構造が、複数の文書に分割された場合の各文書間の関係をlink要素でどのように記述するか、と言う話と解釈して……(この時点で間違っていたら、この文章全て無駄ですが……)。
仮に以下のような構造、関係を持った文書群があったとします。
この場合、ろばQなら、まず、各文書にA~Gの順番にrel="prev"
とrel="next"
を記述し、まず、A、B、C、D、E、F、G の直線的な順番を記述します。
その上で今度は文書AとDにrel="section"
として文書BとCを、文書EとGに同じくrel="section"
として文書Fを、更に文書BとCにrev="section"
として文書AとDを、文書Fにrev="section"
として文書EとGを記述すれば各文書間の階層が link 要素により表現出来、先ほどの直線的な順番の表記と併せる事によって例のp要素
に相当する文書Dと文書Gに関しても問題なく文書群全体における文書の位置を記述出来る、と考えるのですが如何でしょう。
豊かに成ってハングリィ精神が足りなくなった、と満足する事に不安を覚えている間は十分貧困。
Re: 途中に異なる見出しレベルを含んだ地の文章は有りだと思うその2 (Hatena::agenda 2004-06-12)
文書Aのタイトルは、分割前のh1になると思います。では文書Dのタイトルはどうなるでしょうか。
文書Aと文書Dのタイトルを同じにしてしまうと、順に読んでいる読者は、第一章第二節からまた第一章冒頭に戻ったのではないかと思うでしょうから、両者には異なるタイトルをつけるべきであり、どのようなタイトルにすべきかは、文書Dの内容に依存します。あのp要素に見出しが付いていれば、このような問題は生じませんでした。また、分割も容易でした。
文書Aと文書Dのタイトルを同じにしてしまうと
からどのようなタイトルにすべきかは、文書Dの内容に依存します。
の部分はその通りだと思います。しかし、文書Aのタイトルは分割前のh1になるでしょうか。分割前のh1は分割前の文書全体に対して与えられていた見出しですから、(結果的に分割前のh1になるかも知れませんが) 文書Aのタイトルは文書Dと同じく内容に依存すべきであり、文書Dの部分に見出しがない事によって問題が生じるのならば、同じ問題が文書Aにも生じるのではないでしょうか。
さて、ろばQは従来ブロックレベルの引用が出現した位置に XHTML 2.0 の section 相当の要素が出現しても何ら不都合の無い話
と考えていますので (一般にブロックレベルの引用の前後の地の文に見出しが付かないように) 文書AにもDにも見出しが付かない場合を想定しています。ろばQならこのような文書を分割する場合、(可能なら) 分割可能な形に文章を再構成するか、或いは文書AからDの順に1章の名前 1/4、1節の名前 (1章の名前 2/4)、2節の名前 (1章の名前 3/4)、1章の名前 4/4のように番号を振ってタイトルを付けるのですが、これらの再構成の作業、或いはタイトルの問題は、分割に伴う作業、或いは問題なのであって、ろばQが有りだと言う文書構造故の作業、或いは問題ではないのではないでしょうか。勿論、予め分割される事を配慮した書き方をしていればこの問題は起こりませんが、では、一般に文書は予め分割される事を配慮して書かれるべきなのでしょうか。
元々1つの section の内容が分け難い一体の物として書かれていたとして、ろばQにはそれが問題のある文書の構造とは思えないのですが。
春眠、暁なんか来なければ良いじゃない (サンバルカンに叱られるタイプ)。
例の見出しのない跋文のような部分は目次から漏れてしまいます。これを回避するにはその部分に対してラベルを新たに与える必要があり、ならば最初から見出しを与えていれば良かったわけです。
見出しの事は考えておりませんでした。また、確かにそれは問題だ、と感じました。
と言う訳で、途中に異なる見出しレベルを含んだ地の文章は有りだと思うに訂正と補足を追記。
ろばQの問題の感覚に続く。
途中に異なる見出しレベルを含んだ地の文章は有りだと思うを修正の続きなのですが別の話題なので分離。
ろばQとしては、現在も一つの文章を分割する際問題が起こったならそれは分割に属する問題だ、と認識していますし、しかし、逆に前回の主張に同意していただける方に今回の見出しの文字だって1章の名前 n/mとすれば問題ないと言って頂いても目次が作れない文書というのは文書の構造に属する問題と認識しています。
ろばQさんにとっての問題が何を意味しているのか私は知りませんし、自分にとってのそれも説明が難しく、説明したとして観念的な話になってしまいがちなので、ただひたすら事例を。
ろばQとしては自分の中に明確に問題と問題でない事象を隔てる基準を持っているのですが (つもり) それを言語化して他人に説明するのは難しそうです (仮に理解して頂けたとしても、共有出来る基準かどうか、我ながら甚だ疑問です)。
他人と共有出来ない観念論を延々語って自分で論点を見失うのはろばQのやりがちな間違いで、ただひたすら事例を
示して頂けたのには (この話にお付き合い頂いたのとは別に) 感謝します。
一部の読み上げ式 User Agent が display:none;
を読み上げないという事で、どうにかして表示だけ無効化出来ないかと考えまして、font-size に 0 を指定すればいいのではなかろうか、と。
更にdisplay:none;
と違って要素の Box は生成されるはずなので (内容の大きさは 0 ですが)、予想通りなら有る要素の直下の文字は非表示にして、その要素の子要素文字のみ表示出来るのではなかろうか、と。
<p class="navi">この文章は<a>ろばQ屋本舗</a>内の<a>ろばQ日記</a>、<a>2004年06月</a>分です。</p>
p.navi{
font-size:0em;
}
p.navi a{
font-size:medium;
}
とりあえず Mozilla Firefox 0.9 では期待通りの表示になりました。が、Internet Explorer 6 (for Windows) では 0 ではなく非常に小さい豆字が表示されました。むー。
解決以外の方法で問題が問題ではなくなる事もある。
げんしけん4巻、ラブレス4巻、純粋デートクラブ完全版上下巻、ナ・バ・テアを購入。
ちなみに、最近読んだ本では、ラー (著者: 高野史緒、早川書房) が俺限定で超お薦めです。古代エジプト SF ロマン。
RobaQ's WorkShopのRobaQ's Diary 200406が Opera 7.51 でも Internet Explorer 6 SP1 でも見られないのだが、ブラウザの方が惡いと?
良い悪い以前に、ろばQさえ仕様を守っていれば UA なんかどうでもいいやと思っていましたので (投げ捨てる必要すら感じません) ちゃんと把握しておりませんでした。が、ご指摘を頂いたので再調査して IE に関しては保留、Opera には対応しました。
で、IE はろばQが media type を application/xhtml+xml で配信しているのに対して Internet Explorer は application/xhtml+xml を自分では処理出来ないデータとして download などして処理しているようで悪いどころか、ろばQとしては非常に正しい処理だと認識しています (少なくとも text/html に似ているからと言って勝手に text/html として処理するよりは)。
ただ、良い悪いではなく、単純にろばQには自分の文書が Internet Explorer (と言うか自分が使っている以外の任意の UA) で処理されねばならない理由が有りませんので、これに対して対応する予定はありません。
一方 Opera で上手く表示が出来ないのは default.css の全称セレクタに content:""
が設定されていた為でした。どうも Opera には :before や :after ではない (非疑似要素の) 通常の要素に content プロパティを設定すると、その内容を content プロパティの値にして表示してしまうようです。
content プロパティの仕様をあたってみますと、Applies to: :before and :after pseudo-elements
とありまして、:before
及び :after
の疑似要素以外の疑似要素では無効に成るのが正しい UA の挙動だと思うのですが、UA の問題を誘発すると知っていながら (特に子要素などが継承して使う訳でもない) 無効なプロパティをわざわざ設定するのもどうだろう (と言うか、駄目だろ > 俺)、と言う事で該当プロパティを削除し、手元の環境では閲覧可能な状態になった事を確認しました (もし、また同様の問題が発生した場合、大変お手数ですが配信者側の CSS と Script を無効化してみてください)。
ちなみに、余計な設定をして UA の Bug を誘発させたのはvertical-align と text-indent を同一セレクタで指定して Mac IE 5.1 をクラッシュさせたのに続いて (自覚しているだけでも) 2 度目。そんなデバグで発見されないような、曲芸じみた記述をしている自覚はないのだけれどなぁ。